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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)12454号 判決

原告 千代田トレーディング株式会社

右代表者代表取締役 高橋良忠

右訴訟代理人弁護士 池部敬三郎

被告 清宮正康

右訴訟代理人弁護士 山本政敏

同 二島豊太

同 小林美智子

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求の趣旨

被告は原告に対し、別紙物件目録第一記載の建物を明け渡せ。

2  予備的請求の趣旨その一

被告は原告に対し、原告が、別紙物件目録第二記載の建物を、保証金五三二万八〇〇〇円、賃料一か月金二一万三一二〇円、期間二年の約定で被告に賃貸の提供をし、かつ右建物を引き渡すことを条件として、先履行して、別紙物件目録第一記載の建物を明け渡せ。

3  予備的請求の趣旨その二

被告は原告に対し、原告から金三〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録第一記載の建物を明け渡せ。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、昭和五五年九月一五日訴外梶山普(以下単に梶山という。)から、その所有する別紙物件目録第一記載の建物(東側部分、以下本件建物という。)を、期間二年六か月、賃料月額金四万六〇〇〇円、将来本件建物を改築するときは賃貸借契約の中途解約に合意する旨の特約(以下一六条特約という。)付で賃借した。

2  右賃貸借契約(以下本件賃貸借契約という。)は、昭和五八年三月一五日賃料月額五万一〇〇〇円と改訂されたほかは従来どおりの条件で更新された。

3  原告は、昭和五八年一〇月一日別紙物件目録第一記載の建物全体(以下第一建物という。)を梶山から買い受けて、その所有権を取得し、本件建物につき被告に対する賃貸人の地位を承継した。

4  第一建物は、昭和三年ころに建築されたもので、著しく朽廃が進み、大幅改築の必要に迫られていた。

原告は、第一建物を改築する意図でこれを買い受け、昭和五八年一一月七日、被告及び第一建物の西側部分を賃借していた訴外青木商事株式会社(以下青木商事という。)に対し、前記一六条特約に基づき、それぞれ賃貸借契約を解約する旨の意思表示をした。

5  これに対し、被告及び青木商事共に異議を唱えることなく、原告との間で立退き補償金の額の交渉に入り、原告と青木商事との間では、昭和六〇年四月二七日合意に達したが、被告との間では妥結に至らなかった。

6  よって、本件賃貸借契約は、一六条特約に基づき解約申入れの時、又は解約申入れから六か月後の昭和五九年五月六日限り終了した。

7  被告は、本件建物の改築に原則として同意し、建替後の建物を買い受けたい旨希望し、その構造、仕被につき度重なる要請を原告にした。原告は、これに対しその都度設計変更をするなど誠意ある対応をくり返したが、結局被告は買取り資力の不足をすべて原告の負担に帰せしめることのみを画策し、不当な要求を増幅させてきた。このような被告の対応は、借家権に名を借り原告の窮迫に乗じた権利濫用行為である。

8  原告は、第一建物の跡地を含む地上に、別紙物件目録第二記載建物(以下第二建物という。)を建築する予定であるが、その一・二階部分を被告に賃貸する用意がある。その条件として提示している保証金五三二万八〇〇〇円(三・三平方メートル当たり金三〇万円)及び賃料月額二一万三一二〇円(同金一万二〇〇〇円)は、周辺相場に比し著しく低額である。また、本件建物の借家権の評価額は、昭和六二年五月七日現在で金二〇二四万円である。

9  よって、原告は被告に対し、主位的に本件建物の明渡しを求め、予備的に、予備的請求の趣旨その一及びその二記載の各条件を付した本件建物の明渡しを選択的に求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1記載の事実は否認する。

被告人の父、亡清宮兵吉は、昭和三年に、梶山の亡父から、その所有する本件建物を賃借し、以来一階を畳屋営業に、二階を住居に使用してきた。

梶山の父は、昭和三〇年一一月一一日死亡し、梶山が本件建物の所有権を相続により取得し、賃貸人の地位を承継した。次いで昭和五五年五月二〇日被告の父が死亡し、被告が賃借人の地位を承継した。

昭和五五年九月一五日本件賃貸借契約は、期間二年六か月、賃料月額金四万六〇〇〇円、更新料金一七万円の約で更新された。その際、契約書第一六条に「当該建物を事情により建直すこととなったときは賃借人は賃貸人に同意することとします」との特約条項が挿入されたが、これは、解約申入れに対する協議を定めたものにすぎない。

2  請求原因2記載の事実は、賃料改訂の時期を除き認める。賃料は、昭和五六年四月から月額金五万一〇〇〇円である。

3  請求原因3記載の事実は、知らない。

4  請求原因4記載の事実のうち、第一建物が昭和三年ころ建築されたものであること及び第一建物の西側部分を青木商事が賃借していたことは認める。原告が第一建物を改築する意図で買い受けたことは知らない。その余の事実は否認する。

5  請求原因5記載の事実のうち、被告に関する部分は否認する。その余の事実は知らない。

6  請求原因7記載の事実は否認する。

7  請求原因8記載の事実中、原告の主張する保証金及び賃料の額が低額であること及び借家権の額を否認する。

8  原告には、本件賃貸借契約を解約するにつき正当事由がない。

原告は、借地権のある土地や借家人のいる家の敷地、いわゆる底地を買い取り、更地にしてこれを第三者に転売することを業とする会社である。本件建物の敷地についても、訴外ダイカンホーム株式会社に売却するか、又は同会社と共同でビルを建築するのが目的で梶山から買い受けたものである。

これに対し、被告は、父の代から本件建物で畳屋を営み、現在は、被告の息子も家業を継ぐべく被告と共に本件建物で働いている。父の代からの顧客もほとんどは近所の者であり、被告が本件建物の場所から移転することは、死活問題である。

三  抗弁

1  一六条特約は、昭和五五年九月一五日の更新合意の際に加えられた約定であるところ、本件賃貸借契約は、昭和五八年三月一五日に法定更新されたので、一六条特約は、その際期間満了によって失効したものであり、更新後の契約の内容となっていない。

2  仮にそうでないとしても、一六条特約はこれを合意した賃貸人と賃借人間の個別的なものであって、賃貸人の交替があったときは、新賃貸人と賃借人との間には右合意の効力は及ばない。

3  仮に一六条特約が原告と被告との間で効力を有し、かつこれが賃貸人の解約権を定めたものであるとすれば、借家法六条により無効である。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によると、被告の父亡清宮兵吉は、昭和三年に梶山の父から本件建物を賃借して、畳屋を営んできたこと、昭和三〇年に梶山の父が死亡して梶山が本件建物の所有権を相続により取得し、賃貸人の地位を承継したこと及び昭和五五年に被告の父が死亡して被告が本件建物の賃借人の地位を承継したことが認められる。

二  《証拠省略》によると、昭和五五年九月一五日梶山と被告との間で、本件賃貸借契約を、期間二年六か月、賃料月額金四万六〇〇〇円、更新料金一七万円の約で更新する旨の契約を締結し、その際「当該建物を事情により建直すこととなったときは賃借人は賃貸人に同意することとします」との文言の一六条特約を交わしたことが認められる。そして、本件賃貸借契約は、昭和五八年三月一五日更新され、遅くともその時点での賃料が月額金五万一〇〇〇円の約であったことは、当事者間に争いがない。

三  《証拠省略》によると、原告は、昭和五八年一〇月一日梶山から第一建物及びその敷地を買い受けて、その所有権を取得し、本件建物につき被告に対する賃貸人の地位を承継したこと及び同年一一月七日原告は被告に対し、本件建物の敷地部分にビルを建てたいとの理由で本件賃貸借契約を解約する旨の意思表示をしたことが認められる。

四  原告は、右解約申入れは一六条特約に基づくものであると主張するが、この特約は、昭和五八年三月一五日の更新によって、その後の本件賃貸借契約の内容をなし、原告が賃貸人の地位を承継したことによって、原告と被告との間の特約として有効なものと解すべきであるけれども、この特約が、賃貸人において建物を建て直そうとするときはそれだけの理由で賃貸人に解約権を与えるとの合意であるとすれば、借家法六条により無効であるといわざるをえない。したがって、一六条特約は、解約条件の交渉を前提とし、双方合意に達するよう努力する旨を定めたものと解するのが相当である。

五  そうすると、原告のした解約申入れは、更新拒絶の意思表示と解すべきであり、これが有効なためには、正当事由を要する。

原告は、第一建物は昭和三年ころ建築されたもので、著しく朽廃が進み、大幅改築の必要に迫られていたと主張する。

第一建物が昭和三年ころ建築されたものであることは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、第一建物は、経済的価値が認められない程度に老朽化が進んでいることが認められる。

《証拠省略》によると、原告は、主として、借地権等のある土地を買い取ってこれを更地にした上、転売したり、地上にマンションを新築して分譲することを業務としている会社であって、梶山から第一建物を買い取ったのも、借家人である被告及び西側部分の青木商事に対する賃貸借契約を解約して、第一建物を取り壊し、その地上に分譲マンションを建築する目的でした営業上の行為であり、青木商事との間では合意解約ができて明け渡しを受けたが、被告との間では解約条件の折り合いがつかず本件訴えに及んだものであることが認められる。

他方《証拠省略》によると、被告は、父の代からの本件建物での畳屋営業を継続して生計を立てており、現在は被告の息子も被告と共に本件建物で畳職に従事していること、永年の間の顧客は本件建物の近隣の地域に限定されており、本件建物の近傍に代替の営業所兼住居を得られるならともかく、遠隔の地に転居して営業を継続することは望み得ないこと、本件建物は、老朽化しているとはいえ、未だ使用に耐え得ない程のものではないこと、以上の事実が認められる。

右認定の各事実を衡量すると、原告には、被告に対し無条件で本件建物の明渡しを求めうる正当事由は存しないといわねばならない。

よって、原告の主位的請求は理由がない。

六  原告は、予備的請求として、原告が第一建物の跡地に建築予定の第二建物一、二階部分を、保証金五三二万八〇〇〇円、賃料一か月金二一万三一二〇円、期間二年の約定で被告に賃貸の提供をし、かつ右建物を引き渡すことを条件として、本件建物を先履行として明け渡すことを求めるが、このような条件は、判決主文に掲記できる債務名義にかかる本来の条件には当たらないのみならず、右のような条件は、いかなる事情の変更によって、将来原告において履行が不可能になるか予測がつかず、このような、実現についての担保のない事項を約束にして、被告に対し本件建物の明渡しを先履行させることは相当でないというべきである。

したがって、右条件の提示は、原告の正当事由を補完する役割を果たし得ず、原告の予備的請求その一も理由がない。

七  原告は、更に予備的請求として、金三〇〇〇万円の支払と引き換えに、本件建物の明渡しを求める。

前認定のように、不動産業者が他人の土地を買い取り、借地権者や借家人を立ち退かせて、その土地を転売し、あるいはマンション建築等有効利用して利潤を得ようとするときは、借地権者又は借家人が立ち退くことによってこうむる経済上の出費及び損失を完全補償するのでなければ、明渡しを求める正当事由は備わらないものと解すべきである。

本件についていえば、単に算定される借家権の価格を対価として支払えば足りるというのではなく、近傍に新たな賃借建物を求めるとすれば(建替え後の建物を賃借する場合も同様)そのために要する権利金、保証金等の出費、新家賃と現家賃との差額、畳屋営業に必要な造作があればその費用等、建替え後の建物を買い取る場合は、買い取り資金の不足に対する手当て等についての完全な補償を必要とし、被告が解約を合意することによってその営業上、生活上いかなる損失をも受けないことが要件となるものと解すべきである。

金三〇〇〇万円という金額が、右要件を満たすものであることを認めるに足りる証拠はなく、金三〇〇〇万円を超えていかなる金額をもってすれば足りるかを認定しうる資料も見当たらない。

そして、右説示に照らせば、被告が合意解約に応じないことをもって権利の濫用であるということもできない。

よって原告の予備的請求その二もまた理由がない。

八  そうすると、原告の本訴請求はいずれも失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 髙橋欣一)

〈以下省略〉

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